「かわいそうなアガサ」
「かわいいアガサ」
私が今よりずっと若かった頃、ドリアンは私の事をそう呼んだ。
歩くのがゆっくりだった私に合わせるように、手を差し伸べてくれた時。待ち合わせをした雑踏で、待っている私を見つけた時。
ほかの人にそう呼ばれることは無かったから、少し気恥しかった。けれど、いつだって彼の声は一番に私の耳に届くのがひどく心地よかった。二人で朝を迎えた部屋の鏡に悪魔を見た、その日までは。あの日、私は逃げ出してしまった。彼一人を置き去りにして。彼を撮った写真が恐ろしくて仕方なくて、でも、破り捨てることも、燃やすことさえ出来なかった。矛盾していると、自分でも思う。
しかし、アルバムの片隅で未だに残る彼の写真が、たしかに微笑んでいたはずのドリアンの肖像が、手元にある事に安堵していたのも、たしかな事実なのだ。
あれから、私は歳をとった。世界を鮮明に映していた目はとうに衰えて、色あせた現実が見えているだけ。顔や手の皺はみるみる増えて、かわいいなんてとても言えない。けれど。今でも私は彼を、ドリアン・グレイを探している。もしも、彼を見つけられたら、会うことが出来たなら。
彼はもう一度、私の名前を呼んでくれるだろうか。
執筆:20181027
公開:20241110