愛と破滅は紙一重

人は本当に悲しい時、涙が出ないのだと知った。

愛しい人が死んだ。死んだと言っても、なにか事故に遭ったとか、病にかかってしまったとか、そういうのではない。ただ、人間として生きられる寿命が尽きてしまっただけの話だった。彼女の人生は大往生と呼べるものだったに違いない。彼女を大切にしてくれる人と添い遂げて、子供もいて、さあ人生の幕を下ろそうという時、僕に出会った。それだけだ。

彼女は僕と出会った時にはもう、すでにおばあちゃんと呼んでも差し支えない歳(そういうと、彼女は心はいつだって少女なのよ、と笑うのだ。)だった。僕には決まった家が無かったし、彼女は亡くした夫と、巣立ってしまった子供が使っていた空間を、掃除もせずに持て余していた。そういう、人間に空いてしまった隙間に、さりげなく住み着くのが得意だったから、僕がそこに居着いたのは当然だったのかもしれない。

彼女には、いなくなってしまったとはいえ最愛の人がいて、なにより過激なことは似合わない年齢だったから、僕を束縛したりしなかった。というか、自分のことは自分でしなさいと、僕の方が突き放された。しばらく使われていなかったほこりっぽい部屋は、居心地が良いとはとても言えなかった。それに、いくら死なないとはいえ、お腹は減る。億劫だからと何もしないでいると、何故か彼女はそれを見通して、僕を叱りにくるのだった。当然、僕は一人で多少の家事は出来るようになっていった。クローゼットの上に溜まった埃を払う、メモに沿って買い物をして、僕と彼女の分のオムレツを作る。エトセトラ、エトセトラ。

多分、一生の中でいっとう忙しない時を過ごしたと言えるだろう。なんせ、いつもは何もしなくたって周りがなんやかやと施してくれて、それで生きてきたのだから。

それからも、バタバタと毎日は過ぎて、永遠にこんな生活が続くのではないかと錯覚した、ある日。彼女はなんの前触れもなく、ぱたりと死んでしまった。

葬式は、家族と僕だけの慎ましやかなものだった。長いこと彼女の家に住み着いていた僕は、彼女の子供たちにしっかり家族だと認識されていて、最後に一人ぼっちでなかったのは、きっと幸せだったよ、と僕の背中をさすってくれた。僕は涙ひとつ出なくて(今まで当たり前に出来たことなのに! )、それを隠すように彼女の子供の首に縋って、わざとらしく鼻をすすった。そして、

「帰る家が、無くなってしまった」

いつもとなんら変わらない自分の声に、頭がぐらぐらした。彼女を愛していたはずなのに、もう次の相手の事を考えている。彼女の子供、と言ってももう大人だから、うちに来たらいいよ、と彼女にそっくりな声で言うのだ。


彼女の子供となら、上手くやって行けるかもしれないと思ったけれど、それはまやかしだった。ここも、もう飽きてしまった。

「ねえ、貴方は本当に、私を愛していたの? 」

何度投げつけられたかわからない言葉。そんなこと、僕にだって分からないさ。

「……さあ、どうだったかなあ」

執筆:20181030
公開:20241110